オタクの落書き(改)

オタクがぶつぶつ言うだけ

あと7日(1/11分)

金曜に書こうと思っていたが、とても軽く書ける量ではなくて諦めた回。

テーマは「ライブ」です。

初めての参加はμ'sの5thライブのDay2だった。一緒に行きたいと話していた友人と

ぼく「BDとか買わなきゃいけないやつかな」

友人「俺が買うからいいよ」

などと今となっては相当意識の低い会話をしており、実際先行抽選は外れてしまった。しかしHP先行だか何かで無事に当てることができ、めでたく初参加にして初現地の運びとなった。大学3年の冬だったが翌日がちょうど選択必修の試験日で、見事に単位を落としたことはあまりにも有名。ちゃんと翌年とってストレートで卒業したから・・・。オタク系イベントに限らず、いわゆるコンサートは行ったことがなかったが、一緒に行った友人に終わった後「あんなにはしゃぐとは思わなかった」と言われる程度にははしゃいでいたらしい。声の出し方も下手だったので酷い声と腕の疲労だった。あんなに喉をやられたのはAqoursの3rd福岡までなかった。

ファイナルライブはDay1はLV、Day2は現地だった。先行抽選は全てダメで、先着購入という地獄でチケットを獲得した記憶がある。皮肉にもフェスのディレイも先着でいらぬ懐かしさを覚えた。直前に38度の高熱が出て、Day1は物販まで行ったものの、終わる頃にぶり返してきて、この辛さはライブの内容なのか体調のせいなのかとふらふらになりながら見ていた。ポリ袋に大量のUOを入れたオタクが前列にいて、元々1,2本持っていたのに、よかったらどうぞと1人2本ずつくらい配っていた。元気かなあのオタク。Day2はギリギリまで大人しく寝ていて、開場頃に東京ドームへ向かったが、駅前からドームまでの道にびっちりと「チケット譲ってください」の文字が並んでいて、こいつらが突如襲ってきたら無事では済まないななどと思いながら向かった。PFや僕光でドームに響いた音の嵐が今でも聞こえるようである。

Aqoursのライブは、クリスマスの豊洲pitが最初の参加だった。昼の部が友人と揃ってご用意され、昼は豊洲で、夜は普通に飲み屋でジングルベルに乾杯した。

1stライブもDay2現地参加。「想いよひとつになれ」のときに自分まで真っ白になったことを覚えている。咄嗟に名前を呼び始めたオタクもすげえと思ったけど、逆に重圧が増していくようで辛さもあった。貴重な経験であり、出来事に対するマイナスの印象はないが、チキンハートゆえに正直もう体験はしたくない。

2ndライブは両日参戦。この頃から周りのオタクの人数・モチベも高まりつつあって、相互連番という手が生まれ始める。いつもお世話になっております。高槻かなこさんに指差してもらったなどと供述していたのがこの頃。だってまだマル作るの流行ってない頃だったし・・・。

3rdライブは埼玉と福岡で両日参加。埼玉は両日当たらなかったけど、連番に救われた。セトリがセトリだったので、最初の公演を現地で見ることができてよかったし、ソロ曲も日替わりだったので感謝してます。福岡は(沼津以外で)初の遠征の上に初のアリーナ席(最前から10列目くらい)だったので、それも含めてとても楽しかった。あんなにいい席は金輪際引けない気がする。が、喉風邪が長引いた状態での参加で、Day2後半から全く声が出なかった。人魚姫事件などと名づけた(不要な命名)。

4thも両日。ライブ開場のアクセスが良い幸せ。某界隈の方々と出合ったのがこの時。1stであんなこと書いてる人間が冷静に見ていられたわけがないんだよな。連番二人揃って「ありがとう」オタクになっていた。翌週のクリスマス、三津浜でフェリーから「Thank you friends」などと叫んだやばいオタクがいたらしいですよ。

5thも俺達のメットライフドームで両日。冷静に参加率がすごい。オタクありがとう・・・。見切れ席ってやつは初めてだったのだが、(メットライフは)全く見切れって感じじゃなくて、むしろハジマリロードで優勝してしまったので、何故チケット代が安くなっているのか理解不能だった。やや上段から虹が完成していくのを見ていられたのも印象的だった。(もちろんアリーナにはアリーナの景色があったとは思うが)

ナンバリング外で言えば、Aqoursファンミの沼津、AZALEA仙台、ユニットファイナル東京、アジアツアー千葉などなどそこそこ行ってた。AZALEA1stの仙台も行きます。

最後に虹ヶ咲、これも結果的に両日でしたね・・・。単番参加は実はこれが初めてだった気がする。

結論としては昔ながらの身内オタク各位、連番してくれるオタク各位、ライブその他で知り合って交流してくれるオタク各位ありがとうというところに落ち着いた。今後ともよろしくお願いします。